東京高等裁判所 昭和48年(行ケ)27号 判決 1978年5月31日
原告
マシーネンフアブリーク・リーター・アクチエンゲゼルシヤフト
被告
特許庁長官
上記当事者間の標記事件について次のとおり判決する。
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は、原告の負担とする。
この判決に対する上告期間につき、附加期間を90日とする。
事実
第1当事者の求めた裁判
1. 原告
特許庁が昭和47年9月1日、同庁昭和45年審判第4884号事件についてした審決を取消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
2. 被告
主文1、2項と同旨
第2原告の請求原因
1. 特許庁における手続
原告は、名称を「オープンエンド紡績機械の繊維収集面に糸端を送り戻すための方法及びこれを実施するための装置」(但し、当初の名称は「オープンエンド紡績装置の繊維収集位置に糸端を送り戻すための方法及び該方法を実施するための装置」であつた。)とする発明につき、昭和41年8月24日オーストリア国においてした特許出願に基く優先権を主張して、昭和42年8月23日特許出願をしたところ、昭和45年4月10日拒絶査定を受けたので、同年6月10日審判を請求し、特許庁昭和45年審判第4884号事件として審理されたが、昭和47年9月1日右審判請求は成り立たない旨の審決があり、その審決謄本は同年11月25日原告に送達された(なお、原告のため出訴期間として3月が附加された。)。
2. 本件特許出願発明のうち特許請求の範囲第1項記載の発明の要旨
繊維収集面を有する紡糸室と紡糸室から糸を引取る装置を有するオープンエンド紡績装置の運転操作において、糸を繊維収集面に送り戻す前に、繊維収集面あるいは糸のデリベリー・チユーブと糸のデリベリー・ローラーあるいは糸の巻取装置の間で糸のリザーブ・ループを形成させ、糸切れあるいは糸の張力の大きな低下が検出されると、出来るだけす速く、このリザーブされた糸のループを繊維収集面に戻すことを特徴とするオープンエンド紡績装置の繊維収集面に糸端を送り戻す方法。
3. 本件審決の理由
(1) 本件特許出願発明のうち特許請求の範囲第1項記載の発明(以下、単に「本願発明」という。)の要旨は、前項掲記のとおりである。
(2) これに対し、本願発明の特許出願前の特許出願に係る特願昭41―1349号(特許出願公告昭44―2863号、特許第550038号)発明の特許請求の範囲第1項に記載された発明(以下、単に「先願発明」という。)は、「空気減圧によつて供給管を通して繊維が内部へ送入されてから引出しローラによつて糸の形で引出される回転紡糸室と前記引出しローラとの間の部分に配置されて糸の通路の該部分に起こる糸の張力の減少または糸切れの場合に糸の或る長さを弛めるようになつている糸溜め装置を有し、糸の前記長さは糸の連続引出しのためにまた再び紡糸するため糸の端を前記紡糸室内へ吸引するために必要な長さであることを特徴とする該回転紡糸室用糸切れ補修装置。」を要旨とするものである。
(3) そこで、本願発明と先願発明とを比較すると、両者は、オープンエンド紡績装置において、繊維収集面あるいは糸のデリベリー・チユーブ(回転紡糸室)と糸のデリベリー・ローラーあるいは糸の巻取装置(引出しローラ)の間で糸のリザーブ・ループ(糸溜め)を形成し、糸切れあるいは糸の張力の大きな低下が検出されると、リザーブされた糸のループを繊維収集面(紡糸室)に戻す技術思想において一致しているが、次の点において構成上一応の相違がある。すなわち、(イ)本願発明はオープンエンド紡績であるのに対し、先願発明はオープンエンド紡績の一種である空気紡績である。(ロ)本願発明においては、糸切れが検出されると、出来るだけす速く、リザーブされた糸のループを繊維収集面(紡糸室)に戻すのに対し、先願発明においては、糸溜めにリザーブされた糸を糸切れ時に紡糸室に戻すための時間的限定がない。(ハ)本願発明は糸をリザーブしておく量に対する限定がないのに対し、先願発明は、糸溜めによるリザーブの量を、糸の連続引出しのためにまた再び紡糸するため糸の端を紡糸室内へ吸引するために必要な長さとしている。(ニ)本願発明は繊維収集面(紡糸室)に糸端を送り戻す方法であるのに対し、先願発明は紡糸室用糸切れ補修装置である。
右の各相違点について順次検討する。
(イ)の相違点について
先願発明の空気紡績も繊維収集面(紡糸室)を有するオープンエンド紡績の一種であり、本願発明が空気紡績を含むより上位の概念であるのに対し、先願発明が本願発明の下位概念で表現されたにすぎず、両者の目的、効果からみて、この点に何ら技術的意義のある相違はない。
(ロ)の相違点について
先願発明の明細書中には、「本発明による装置の主たる利点は、糸切れがその発生直後に糸の巻取操作を停止することを必要とせずに上記紡糸室内において自動的に補修されうる点にある。」との記載部分があり、これからみれば、先願発明においても本願発明と同じく、出来るだけす速く戻すことが自明であり、この点に技術的な相違はない。
(ハ)の相違点について
本願発明の明細書中、発明の詳細な説明の項の冒頭に「繊維収集面において再結合し且つ再撚り賦与するために、オープンエンド紡績機械の繊維収集面に糸端を送り戻すための方法……」との記載があり、これからみれば、本願発明においても先願発明と同じく、糸のリザーブ量は、糸切断端が再度繊維収集面(紡糸室)に引き戻されて再結合(補修)されるに十分な量であるはずであるから、この点に技術的な相違はない。
(ニ)の相違点について
両者は、それぞれ方法に関する発明、物に関する発明であるという相違はあつても、この相違により二発明間には目的、効果において格別の相違は生じないし、この相違は、方法的に表現したか、構造的に表現したかの表現上の差異にすぎず、技術上何ら相違するところはない。
(4) 以上のとおりであり、(イ)ないし(ニ)のいずれの相違点によつても、両者は別個の発明を構成するものではないから、本願発明は、先願発明と同一に帰し、特許法第39条第1項の規定により、特許を受けることができない。
4. 本件審決の取消事由
本件審決指摘の本願発明と先願発明との間の一致点及び相違点の各存在並びに相違点(イ)、(ハ)に対する判断は争わないが、相違点(ロ)、(ニ)に対する判断は争う。本件審決は,以下に述べるとおり、両者の構成上の差異及び本願発明の奏する顕著な作用効果を看過誤認した結果、相違点(ロ)、(ニ)に対する判断を誤り、両者を同一の発明であるとした違法があるから、取消されるべきである。
(1) 構成上の相違点の看過
本願発明は、その特許請求の範囲に「糸切れあるいは糸の張力の大きな低下が検出されると、出来るだけす速く、このリザーブされた糸のループを繊維収集面に戻す」と記載されていることからも明らかなとおり、「出来るだけす速く」リザーブされた糸のループを繊維収集面に戻すという構成であり、糸戻し動作について時間的要素、すなわちタイミングを考慮したいわば動力学的構成であるのに対し、先願発明は、「リザーブされた糸が所定の長さであること」が最も重要な特徴であつて、リザーブされた糸を繊維収集面に戻すための動作について時間的要素を何ら考慮していないいわば静力学的な構成であるところ、本件審決は、両者の間における右の相違点を看過している。
本願発明は、例えば、その第1実施例である別紙図面A第2図表示の装置による方法からも明らかなとおり、次のような構成になつている。すなわち、紡出された糸がソレノイド28の糸保持スタツド24に案内されているので、ローター19のデリベリー・チユーブ23とデリベリー・ローラ26'間で迂回糸路が形成されており、ローター19あるいはデリベリー・チユーブ23の中で糸の破壊が生ずると、糸22の張力は糸張力検出器25をして接点27"に接触するように回動するに十分なだけ低下する。そして、右の接触により、回路30が閉じてソレノイド28が励磁され、スタツド24はソレノイド28の中に磁力で引きこまれて糸22の通路から離れ、そのためスタツド24のまわりを迂回した長さの糸、すなわちデリベリー・チユーブ23とデリベリー・ローラ26'とを結ぶ直線の長さに対し余分の長さに相当する糸が自由となり、ローター19にはその繊維収集面20に対し吸引空気が作用しているので、この弛められた糸の端が吸引空気によつてローター19の中に送り戻される。以上のとおり、リザーブ糸のローター19への送り戻しにおいて、糸の張力減の検出からソレノイド28の糸保持スタツド24の引きこみまでの動作は電磁的に行われるので、全く瞬間的であつて、この動作により、リザーブ糸は自由となり、それ自体の運動を阻害する何らの外的抵抗もなく、ローター19に吸引されるのであるが、この送り戻しは、糸の慣性だけが抵抗となるにすぎず、しかもそれは吸引空気に比べて微々たるものであるから、きわめてす速く、タイミングよく行われるのである。このように、本願発明は、糸自身の慣性だけが抵抗となるにすぎず、リザーブされた糸を迅速にしかもタイミングよく送り戻すという構成を採つている。
これに対し、先願発明の構成は、例えばその第1実施例である別紙図面B第1図表示の装置からも明らかなとおり、回転紡糸室(ローター)1の中で糸の破壊が生ずると、検出手段によつて電磁石(ソレノイド)17が作用することは本願発明と同じであるが、リザーブされた糸を回転紡糸室1に送り戻すためには、糸案内ローラ7を右図面の実線位置から点線位置まで下げる必要があり、そのため糸案内ローラ7を保持するレバー11を支軸12のまわりに、実線位置から点線位置まで回動させなければならない。そして、レバー11は、正常運転時は、その後部自由端11bが電磁石17によつて動作される爪15cに係合されているが、電磁石17が励磁されると、この係合がはずれて、レバー11が自由となり、支軸12のまわりを反時計方向に回動しうるようにバランスがとられている構造であるから、レバー11の後部自由端11bが爪15cとの係合からはずれて自由になると、レバー11は実線位置から点線位置に回動することになる。先願発明は、リザーブ糸の送り戻し機構として右の構造を採用しているため、レバー11、糸案内ローラ7の慣性によつてリザーブ糸の送り戻しが遅くなり、これら機械要素の慣性が糸の送り戻しのタイミングを阻害するものであることは否定し難く、本願発明のように糸を「出来るだけす速く」戻す構成とはなつていない。以上のとおり、先願発明は、リザーブされるべき糸の量に注目して、これに一定の条件を定めているが、リザーブされた糸の送り戻しの時間(タイミング)に関しては何らの限定もしていないいわば静力学的構成ともいうべきものであるから、先願発明の構成と本質的に異なつている。
(2) 顕著な作用効果の看過
回転する繊維収集面を有するオープンエンド紡績機においては、糸切れが起きた場合この繊維収集面において糸端が正しく再紡出しうるようにある特定の長さの糸を逆に送り戻すことが必要とされるばかりでなく、糸に太い部分や細い部分が生じたり、あるいは撚りが強すぎたり甘すぎたりするのを避けるために、破断した糸の長さに合致する送り戻しのタイミングが必要である。もし、適正な時間内に送り戻しがされないと、繊維収集面には連続的に繊維が供給されているので、繊維の蓄積が過剰となり、糸継ぎが失敗するか、仮りに糸継ぎができたとしても、戻された糸が余分の繊維と撚り合わされて引出される結果、極度に太い部分(スラブ)が発生したり、太い部分とこれに続く細い部分が生じ、いずれにしても以後の工程において糸切れを起しやすい個所となり、糸の品質が低下する等紡糸における最大の欠点となるのである。そして、前記のとおり、先願発明は、糸切れの際、リザーブされた一定の長さの糸を機械的に繊維収集面に戻すことによつて運転を停止しないで補修ができるようにしたものであるが、糸溜めにリザーブされた糸を繊維収集面に戻すための時間的限定は何らされておらず、機械的な慣性という障害が存在するのに対し、本願発明は、糸切れの際、リザーブされた糸を繊維収集面に送り戻す動作について糸自身の慣性だけが障害となるにすぎず、「出来るだけす速く」糸を送り戻して補修を行なう構成であるから、前記の紡糸における欠点を除去し、糸切れによる運転の中断が不必要であるばかりでなく、スラブの発生等を避けることによつて、糸の品質を維持向上させ、生産性を高めることができるのである。本件審決は、右のような本願発明の奏する顕著な作用効果を看過している。
第3被告の答弁
1. 請求原因1ないし3の事実は認める。
2. 同4の本件審決に取消事由が存在するとの主張は争う。本件審決には原告主張のような違法はなく、その結論は正当である。
(1) 構成上の相違点について
本願発明の要旨における「出来るだけす速く」とは、他の機構の作用との関係で決定される可能な限り速い速度を意味するにすぎないのであつて、定量的に構成を限定したものではない。すなわち、「出来るだけす速く」とは、例えば、高速運転の機械においても、低速運転の機械においても、それぞれ可能な限り速度を上げるように配慮して設計された速度を指し、高速化を念頭に置いて設計されたものであれば、仮りに高速機と比較的低速機との間に速度の差異があつても、その速度はそれぞれの機械における「出来るだけす速い」速度なのである。ところで、先願発明は、本願発明と同様に、糸切れが発生しても材料である紡糸用繊維の供給を停止させることなく、また紡出糸の巻取り操作も停止させることなく、自動補修(自動糸継ぎ)がされて連続的に再紡出されるものであるから、糸切断端は巻取り速度に打勝つて紡糸室内に引き戻されなければ、糸切れ自動補修の目的は達成できず、また、糸継ぎが遅れると、紡糸室内の繊維の量が増え、その結果糸継ぎ個所にスラブを生じ、糸の品質低下を招来することは明らかである。してみると、先願発明においても、糸継ぎに要する時間は、糸の品質と生産性の向上のため、短かければ短かいほど好ましく、当業者にとつては、糸切断端の紡糸室への引き戻し速度を「出来るだけす速く」することは、設計上当然に配慮しなければならないことである。だからこそ、先願発明の明細書中にも、「糸切れがその発生直後に自動的に補修されうる」旨記載されているのである。したがつて、先願発明における糸切断端の引き戻し速度が、仮りに、絶対速度において本願発明の速度に劣るものであつても、先願発明においても「出来るだけす速く」作用するように設計された速度であることに変りがなく、この点につき本願発明と先願発明との間に原告主張のような構成上の相違点があるとはいえない。
(2) 作用効果について
先願発明を含むあらゆるオープンエンド紡績機は、従来の最も生産性の高いリング紡績機よりもなお格段に優れた生産性を有することに利点が認められているのであり、紡出糸の品質を低下させることなく生産性を高めることが当業者にとつての課題であり、紡績機械に関する設計に際しては、生産性とともに製品の品質の維持向上にも配慮を施すのが技術常識である。そして、前記のとおり、先願発明も、糸切断端の紡糸室への引き戻し速度を「出来るだけす速く」する構成であることにおいて、本願発明との間に相違はなく、本願発明と同様の作用効果を奏することが明らかであるから、原告主張の本願発明の作用効果をもつて特段のものということはできない。
第4証拠関係
1. 原告
甲第1号証ないし第5号証を提出。
2. 被告
甲号各証の成立は認める。
理由
1. 請求原因1ないし3の各事実、すなわち、本願発明の特許出願から本件審決の成立に至る特許庁における手続の経緯、本願発明の特許請求の範囲及び本件審決の理由に関する事実は、いずれも当事者間に争いがない。
2. そこで、本件審決の取消事由の存否につき判断する。
(1) 構成上の相違点に関する主張について
成立に争いのない甲第3号証、第5号証によれば、本願発明の実施例の一つである別紙図面A第2図表示の装置による方法は、原告が主張するとおり、ローター19あるいはデリベリー・チユーブ23の中で糸の破壊(糸切れ)が生ずると、糸22の張力が低下し、糸張力検出器25が回動して接点27"に接触し、回路30が閉じてソレノイド28が励磁され、スタツド24はソレノイド部の中に磁力で引きこまれて糸22の通路から離れるため、スタツド24のまわりを迂回した長さの糸が自由となり、その結果、この弛められた糸の端が排出空気の吸引力によつてローター19の中に送り戻される構成であるから、磁力によりスタツド24が引きこまれて糸と離れた瞬間に糸の送り戻しがされ、糸の慣性だけが抵抗となるにすぎず、迅速な送り戻しが可能であることが認められる。しかし、前掲甲第3号証、第5号証によれば、本願発明の明細書には、他の実施例として別紙図面A第3図ないし第8図表示の装置による各方法も記載されているところ、これらの実施例においては、それぞれ、糸切れによる糸の張力の減少が検出されると、ソレノイドを励磁させて移動機構を作動させ、次のような機械的装置を揺動ないし回動させることにより、糸の迂回路を短縮して糸の送り戻しをする構成となつていることが認められる。すなわち、別紙図面A第3図の実施例では、シリンダ48の中に滑動自在に設けられたピストン47が後退し、これに連結されている揺動管37が、バネ41に抗して引張られて、破線で示された位置まで揺動する。同第4図の実施例は、デリベリー・チユーブ52に一端が関着され可撓性スリーブ54に他端が関着されている揺動管53、デリベリー・ローラ56の近くに枢着された管57、及び右の管57の中に伸縮可能に挿着され可撓性スリーブ54に他端を関着されている支持管55からなる糸の迂回装置が、揺動管53に連結された移動機構58により、破線で示された位置まで揺動して短縮するものである。同第5図の実施例は、ほぼ直角に曲つている揺動管63が、デリベリー・チユーブ63'に蝶番的に連結され、他端は、デリベリー・ローラ65の近くに設けられた弓型の支持管64の中に入れ子式に係合されており、移動機構によつて揺動管63が揺動されて支持管64の中に挿入されるものである。同第6図の実施例では、ケーシング66の糸取出し開口67に接続された長い弾性的可撓管69が、これに枢着されたレバー70の移動によつて、破線で示された位置まで揺動する。また、同第7図の実施例では、偏向ロツド75が、ソレノイド82によつて作動するアーマチユア・デバイスと連結されていて、これにより破線で示された位置まで回動し、同第8図の実施例も、偏向ロツド91が、制御器95に操作的に連結され、これにより、破線で示された位置まで回動するものである。以上認定のとおり、別紙図面A第3図ないし第8図の各実施例は、それぞれ、揺動管(第3図37、第4図53、第5図63)、弾性的可撓管(第6図69)、偏向ロツド(第7図75、第8図91)を要素とする機械的装置が揺動ないし回動することによつて、糸の迂回路が短縮されて糸の送り戻しを可能にするものであるから、糸の送り戻しにおいて、これらの機械的装置が揺動ないし回動する時間を要し、その慣性が抵抗となるものであることが明らかである。そして、本願発明は、右各実施例の構成をも包含するものであり、同第2図の実施例の構成のみに限定されているわけではないから、原告が主張するような糸の送り戻しに対し糸自身の慣性だけが抵抗となる構成に限られないというべきである。してみれば、本願発明の要旨中、「出来るだけす速く、リザーブされた糸のループを繊維収集面に戻す」の意味も、「出来る限り迅速に糸切断端を繊維収集面に戻す」という、紡績機械において糸切れの自動補修を可能にしようとする場合当然に要求され、かつ、その設計技術上適宜採択しうる構成を意味するにすぎないものというのほかはなく、それ以上に特殊な構成のみに限定する意味であると解することはできない。
一方、成立に争いのない甲第2号証によれば、先願発明は回転紡糸室における糸切れの自動補修の装置に関する発明であり、その明細書には、糸切れが発生した場合糸溜めにリザーブされた糸を紡糸室に送り戻す時間を限定した直接の記載はないが、特許請求の範囲に「糸溜めにリザーブされるべき糸の長さを、糸の連続引出しのために、また再び紡糸するため糸の端を紡糸室内へ吸引するために必要な長さとする」旨の記載があり、また、発明の詳細な説明中には、「本発明による装置の主たる利点は、糸切れがその発生直後に糸の巻取り操作を停止することを必要とせずに紡糸室内において自動的に補修される点にある。」との記載があることが認められ、右各記載内容から明らかなとおり、先願発明は、糸切れが発生しても、糸の巻取り操作を続けながら、糸切れをその発生直後に自動的に補修することができるようにしたものである。さらに、前掲甲第2号証によれば、先願発明の実施例の一つである別紙図面B第1図表示の装置は、糸4の張力が減少すると、ばね10の作用によりタイロツド9が糸案内ローラ7とともに持上げられて電気回路を閉じ、励磁された電磁石17によつて掛金レバー15の短かい方の腕15aが引き寄せられ、爪15cがレバー11から外れて、レバー11が回動し、糸案内ローラ7は点線で図示された低い位置へ落下し、糸切断端を紡糸室1へ吸い戻すために必要な予め定められた糸の長さが弛められる構成であり、また、先願発明の他の実施例である同第4図ないし第6図表示の装置は、糸4の張力が減少すると、糸案内針金36が板ばね38の作用によつて持上げられて電気回路を閉じ、励磁された電磁石50が、掛金ピン(例えば48a)と掛合する鉤形鉄心49を引寄せ、したがつて、支持板45が電磁石50の方へ引寄せられ、階段状に切欠かれている支持板45の階段(例えば最上段の45a)上に載つていたレバー39は低い段(例えば45b)に落下し、この落下により、レバー39の反対端に装着されその続きとなつて連結されている糸案内36・37も当然に落下するから、紡糸室1の中へ吸い戻すために必要な糸のある長さが弛められる構成であるところ、これらの実施例において、「再紡糸操作は、この糸の弛みが紡糸室の内側から糸の端の離れないうちに、かつまた、糸が空気減圧によつて紡糸室の中へその繊維収集面の方向に吸い戻され終らないうちに、始められることによつて促進されるのである。したがつて、溜められる糸の長さは、引出しローラによる糸の引出し速度及び紡糸室における切れた糸の再紡糸に必要な時間によつて左右される。」とされていることが認められる。以上の認定事実に照すと、先願発明は、糸の巻取り操作を続けながら糸切れを自動的に補修するため、糸切れを検出すると出来る限り迅速に糸切断端を紡糸室に戻す構成であり、その表現は主として弛められるべき糸の長さという観点からされているけれども、糸の送り戻し時間(タイミング)につき当然に配慮されているものであることが明白であつて、本件審決が先願発明も出来るだけす速く糸を戻すものであることが自明であるとした点に誤りはない。
したがつて、原告が主張する構成上の相違点、すなわち、本願発明は糸の送り戻しの時間的要素を考慮した動力学的構成であるのに対し先願発明がこれを欠いたいわば静力学的構成であるという相違があるとは認められず、この点に関し本願発明の構成は先願発明のそれと格別の差異がないというべきであるから、原告の取消事由(1)の主張は理由がない。
(2) 顕著な作用効果の主張について
原告は、取消事由(1)において主張するような本願発明と先願発明との構成上の相違点があることを前提として、本願発明が糸の品質を維持向上させ、生産性を高めることができるという先願発明にない顕著な作用効果を奏する旨主張するが、前記(1)において判断したとおり、本願発明は糸の送り戻しに対し糸自身の慣性だけが戻し動作に対する障害となる構成に限定されているものではなく、また、「出来るだけす速く」糸を送り戻して糸切れを補修するという点につき本願発明と先願発明との間に格別の構成上の差異はないから、原告の右主張は前提を欠き失当である。また、前示のとおり、先願発明は、糸の巻取り操作を停止することなく糸切れを自動的に補修するものであつて、糸切れを検出すると出来るだけ迅速にしかもタイミングよく糸切断端を紡糸室に戻すことを目的とする構成であることにおいて、本願発明との間に相違はなく、一般に、紡績機械の設計技術分野において、糸の品質及び生産性の向上を図ることが不可欠の事項であるから、先願発明も、本願発明と同様の作用効果を収めうるものというべきである。したがつて、原告の主張する糸の品質及び生産性の向上という本願発明の作用効果は、先願発明のそれと比較して差異があるものとは認められず、また、両発明間には、方法として表現したか、装置の構造として表現したかの差異があるとしても、技術的思想としては何ら差異がなく、別個の発明を構成するものではないということができる。原告の取消事由(2)の主張も採用することができない。
3. よつて、本件審決の違法を理由にその取消を求める原告の本訴請求を失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第7条及び民事訴訟法第89条の規定を適用して、主文のとおり判決する。
(荒木秀一 橋本攻 永井紀昭)